SM(主にS)について思うこと
※この記事は私がにじさんじ所属の白雪巴様にマシュマロを送り、それが配信で読まれたのを前提に書いています
↓↓↓この方↓↓↓
↓↓↓この動画の11:22頃から↓↓↓
さてこの前提を理解して、巴さんのアーカイブを見終わった方は先へ読み進めてくださいな。
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①結局の所色々語ってるけど筆者はSなのか
別に質問があったわけではないですが、ここを説明しないことには文章を書いたところで説得力もクソもないわけです。SなのかMなのか、Sであるなら定義したどれに当てはまるか、という疑問についてですね。
結論から言いますと、真性一歩手前のビジネスになります。
女性が苦痛を感じてる姿を見るのは普通に好きですし、苦しんだり痛みで叫んだり苦悶の表情を浮かべてるのは見てて性的興奮を覚えます。(映画で言うなら隣の家の少女がかなり好きです。アレは良いですよ、是非見ていただきたい。単純な暴力描写ならばどの作品でも(長くなるので割愛))
しかしながら、自分が行為するとなるとまた別でして、相手が快楽を感じていなかったり、苦痛だけを感じているのは多少心苦しさを覚えます。まあかといってそれで性的興奮を覚えないのかと言われるとそういうわけではないのですが……そこは理性で抑えられるレベルなので。
現在の私の状況を端的に表すなら、真性一歩手前のビジネスという形になるわけです。
②白雪巴はビジネスSなのか
あまり長々と私の話をしても仕方が無いので本題に戻ります。
配信本編でも話に出た、配信者本人である、白雪巴氏(以後氏or彼女)はSではなくビジネスSではないのか? という話ですが、これに対する私の答えはYESですね。
結局の所、私が彼女に対してマシュマロを送ったのも、彼女のSM入門配信を見たのがキッカケですので
SMは相互理解によるものであって、ただS側がM側を痛めつける事ではない(かなり要約)という見方から、ビジネスよりの方だなとなりました。
しかしながらプロフェッショナルという言葉は良いなと思いました。ビジネスSを超えたプロS。なんかカッコイイですね。
③筆者的にはビジネスSはSと呼ぶべきではないのか
そんな事はありません。むしろ社会的立場を考えるのであれば、
ビジネスS>自称S≧真性S
となるわけです。当然の話ですね。
マシュマロにも記載した通り、犯罪に手を染める確率がもっとも低いのはビジネスSであり、自称Sですら引き際を弁えていればただのウザイ奴止まりです。
真性は行動に移したら八割即アウトなので、それを考えれば答えは明白ですね。
あのマシュマロも元々、Sの定義が変化してしまっていることについてどう思うかを問うただけのものでしたので、別にビジネスSがダメとか、真性Sが至高、というものではないです。(ビジネスSに成り下がるとかいう書き方をしてしまいましたけど……あれは言葉のあやです……)
なので、別に広義的に見れば全てSと呼んでいいと思うのですが、問題は、Mの人がSを求めた時に、真性の人間が現れてしまう事です。
この擦り合わせの失敗において最悪の場合、S側は犯罪者になり、M側は一生癒えない傷を、身体的にも精神的にも負ってしまう自体になりかねない。
それを防ぐ為にも定義付けは必要なのではないかと、私は思ったのです。
④真性Sとは
ここからは本題の、「Sとは何か」という話に戻りましょう。
真性Sについてのコメント欄及び氏の意見は
- それはSではなくレイシスト
- 広く見れば全てSだと思う
- 相手が苦痛を被る様を見て快楽を得る。そこに相手の意思は関係ない
1.それはSではなくレイシスト
レイシストは差別主義者の事ですのでまた別になります。
狭く言えば人種差別主義者の事ですが、広義的に見れば、疾患を持った人を虐げたり、血液型で人を判断するような人もレイシストに含まれると私は思います。
2.広く見れば全てSだと思う
これは確かにその通りなのですが、上記した通り、それを結論としてしまうと、認識の齟齬による悲劇が起きてしまいます。
なので、考え方としてはアリだと思いますが、定義付けが曖昧なままなのは、同じ嗜好を持つもの同士の関係に亀裂が生まれる原因にもなりかねないので、曖昧にするべきではないと思ったのです。
3.相手が苦痛を被る様を見て快楽を得る。そこに相手の意思は関係ない
これが、一応現在定義付けられているサディズムの本質にして、私の上げた真性Sの定義でもあるわけです。
しかしながら、この真性S。説明から見ても分かる通り、個人では快楽を得られない上、相手が苦痛を望まない一般人でなければ成立しない、という犯罪スレスレ(というか行動に移したら一発で犯罪)の性的嗜好となっています。
それを、法を犯さずに解消するための手段だと私は思っていたわけですが、世間的に言われるSMプレイというのは知っての通り、S側がM側に奉仕する形になってしまいます。
それは真性Sにとって望むものとは真逆のものになります。その為、(私を真性と定義していいのかは分かりませんが)正直私はMを相手にするのはあまり好きではありません。
もっとも正しいサディストの形でありながら、最もSから遠い存在にされている。そんな存在が、本来のサディストの姿なのです。
因みに、他者に苦痛を与える事で喜びを得るだけならサディズムではないようで、そこから性的興奮を覚えてようやくサディズムと定義付けられるらしいです。
⑤BDSMにおけるSとは
次は、現在世間において認識されている、BDSMにおけるS、について考えていきましょう。
コメント欄では
- ServiceのSなのでは?
- サイコパスのSなのでは?
- 本来のSとは違うが色々あっていいと思う
- 苦痛を得て快感を得るのがM、それを提供するのがS
- 苦痛を与えて快楽を得るのはSだが、愛がないのであればSMとは呼ばないでほしい
などの意見が見られました。
1.ServiceのSなのでは?
もっとも多く見られたこの意見ですが、実際それが一番真相に近いのではないかと思い、様々な文献を読み漁ったわけです。
しかしながら、出てくるのは基本的にはSadismが大半を占めていました。
ただ、面白い結果が見つかったので、それは後述する5の項目をご覧下さい。
2.サイコパスのSなのでは?
この意見ですが、そもそもサイコパスはPsychopathなのでSではありません。
また、サイコパスの特徴として「共感性の欠落」という物があります。他者の感情を理解できない為、躊躇なく冷酷な事ができる。
逆にサディストの場合、他者がどのようにすれば苦痛を感じるか、不快感を被るかを理解する事に長けています。その為、共感性はむしろ高い方がサディストの素質は高いのです。
その為、サイコパスとサディストは、類似しているようで、深い部分では真逆の性質をしているわけです。
しかしながら、これらを両立させたタイプもいる事にはいます。あくまで共感性の欠如は特徴の一つであってサイコパス全員がそうってわけではないですから
3.本来のSとは違うが色々あっていいと思う
確かにその通りですね。というかこれが一番平和的な解決だとも思いました。
しかし、これに関しては良い悪いではなく単純に知的好奇心の話になってくるのです。
正直、理性的に行動出来て他者に迷惑かけないなら、真性だろうとビジネスだろうと自称だろうと良いと思います。
ただここまで来ると、どこでどう変化が起きて、暴力性による性的嗜好が他者を満足させるための物に移り変わったのかというのが非常に気になる。のでこの話は続けます。
4.苦痛を得て快感を得るのがM。それを提供するのがS
この考え方はBDSMにおけるSの定義には恐らくピッタリ当てはまります。
しかし、この考え方の場合、Sadismの定義からは外れるわけですね。そんな深い事は考えずにとりあえず付けた名称なのではないか? とも思いましたが、とりあえずで精神障害の名前を付けるものか? と思ったところで、次の項目で興味深い語句が見つかりました。
5.苦痛を与えて快楽を得るのはSだがそれはSMではない
この意見ともう1つ面白い意見を見かけまして
SとMで分けて考えるのとSMで分けて考えるのはまた違う
これですよ。
この意見を見て、サディストという一つの存在に縛らず、SMという大きな括りで調査を進めた所、面白い言葉を見つけました。
それがSadoMasochism(サドマゾヒズム)という言葉です。
こちら、SadismとMasochismを合わせただけの造語かと思っていましたが違いました。
【精神医学】サドマゾヒズム:一人の人間がサディズムとマゾヒズムの両面を持つ異常性格
出典:研究社 新英和中辞典
れっきとした1つの単語だったのです。そして、こちらについて調べていく内に、もう1つわかった事があります。
それがBDSMとはなんの略語なのか、です。
こちら、氏が動画で紹介していた
B:Bondage
D:Discipline
S:Sadism
M:Masochism
こちらの四つだったわけですが、BDSMの発祥でもあるアメリカの原語の文献を調べたところ、
B:Bondage
D:Discipline
SM:SadoMasochism
このように、SとMで分けるのではなく、SM纏めて記載されている文献が非常に多かったのです。
ここから読み取れる事は、時代が進むに連れて、SMというのは真性Sと真性Mによって行われるものから、両方を兼ね備えたサドマゾ(以後SM)によって行われるようになったのではないかという事です。
ビジネスSがMに奉仕する。ではなく、攻め側のSMと受け側のSMによって行われるものが、SMプレイだったのです。
そう考えれば、真性Sが現代のSMプレイにそぐわない事にも納得がいきます。
攻め側のSMは加虐による快楽と奉仕(被虐)による快楽。受け側のSMは被虐による快楽と、被奉仕(被虐)による快楽。
攻め受けどちらも二つの快楽を無意識下に得る事が出来る。
それが、現代のSMプレイの姿だったというわけです。
因みに、Sの語源であるサド伯爵や、Mの語源である作家マゾッホも、このサドマゾだったらしいと言われています。
結論:SMプレイとは読んで字のごとく、SMによって行われるプレイであった
番外編:Mについて
配信のコメントにて面白い意見を見つけまして、少し話したくなりました。
それが
逆にMも、されたい事されて悦んでいるならMではないのでは?
この意見ですよ。
そう、Mというのは、肉体的精神的苦痛や羞恥心や屈辱を味わう事によって快感を得る存在なわけです
つまりこちらも、上記した通りSMプレイでは100%満足はしないのです(真性SよりはSMプレイでも満足出来ると思いますが)。
なので真性Sも真性Mも現代のSMプレイで100%満足することは難しいという事ですね。
調べたところ、上記した真性Mは肉体破壊や、挙句の果てには死の直前にすら快感を覚えたらしいです。
この話を読んだ時はMasterでもMasochistでもなくMonsterじゃないの……? と思いました。
最後に
こちらも、コメントから引用させていただきますが、
本来の意味を知る事は大切だが、本来の意味に囚われるのは健全とは言い難い
こちらですね。素晴らしい考え方です。
本来の意味は確かに大切ですが、それに囚われ過ぎれば人として大切な事を見失いかねない。
この言葉を忘れないように様々な言葉の意味を深く知っていけたら、これからの人生がより豊かになるのでは無いかと、私は思いました。
長々と書かせていただきましたが、あくまでこれは、プロSであり、SMである白雪巴様に送ったマシュマロと、彼女の存在あって成り立ったものですので、どうか白雪巴様のTwitter及びチャンネル登録の方をお願いいたします。
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P.S 白雪巴様へ
真性の読み方は、「ましょう」ではなく「しんせい」です